千代田さくら祭り2025公式ガイドMAP
35/80

千代田区は昭和22年に麹町区と神田区が統合して誕生しました。その麹町区と神田区は、現在の「日本橋川」が境とされていました。今回は、その日本橋川に焦点を当てて千代田区の一部を紹介します。日本橋川は三鷹市の井ノ頭公園内の井の頭池に源を発する神田川の支流です。小石川橋で神田川から分流し千代田区及び中央区を流れ隅田川に注ぐ延長約4k の一級河川です。全区間が東京湾の干満の影響を受ける感潮域となっています。また、川の全長の大部分を首都高速道路が覆っています。千代田区の川沿いの空間は、江戸時代より物資の輸送や川沿いの土地における河岸地としての利用など、人々の生活に欠かせないものでした。千代田区内の川は、江戸時代以前には「平川」という総称で呼ばれ、現在とは異な.8 る流路で流れていました。慶長8年(1603年)に徳川家康が天下を取り、その家臣らが江戸に移ると、現在の神田三崎町、神田神保町、一ツ橋一帯の宅地化が進められました。そして、小石川(現在の白山通り付近を流れていた川)、旧石神井川(現在の不忍池から秋葉原周辺へ流れていた川)の水を浅草川(現在の隅田川)に流すため、元和6年(1620年)に神田山(現在の神田駿河台)の台地の開削が始まりました。一方、流路の変更により、江戸城周辺に洪水が発生する危険性が増したため、平川の一部(現在の三崎橋から南堀留橋付近)が埋め立てられました。この工事により、現在の神田川と日本橋川の原型ができました。その後、万治3年(1660年)に平川(現在の神田川)は舟運ができるように拡幅工事が行われ、その際に工事のための材木を置く河岸が、日本橋川にあった鎌倉河岸から移転してくることを契機として、両岸に河岸地が作られ、商人たちが河岸地を利用して、廻船で江戸に運ばれてきた米や酒などを扱うようになりました。(※神田川の開削部は「茗渓」と呼ばれ、江戸の上水道である神田上水の掛樋(現在の水道橋周辺に所在)とともに、印象的な風景として浮世絵などに描かれています。)麹町区と神田区の境 江戸時代日本橋川33

元のページ  ../index.html#35

このブックを見る