千代田さくら祭り2025公式ガイドMAP
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明治20年代(1887年〜1896年)には、現在の三崎橋から南堀留橋が開削され「新川」と名付けられました。1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大地震で陸上の交通網が寸断される中、川は復興のための輸送経路として利用されました。日本橋川では、鎌倉河岸(現在の内神田一丁目、二丁目)と堀留(現在の九段北一丁目)付近にしかなかった河岸が鎌倉河岸から飯田橋付近まで連続して作られ、主に建設用資材や燃料の物揚げ場として使用されていました。一方で、それまでの舟運は手漕ぎ船や帆船といった小型の船舶によるのが主であったのに対し、蒸気機関などの動力を用いた大型船化が進みました。それらの通行を可能とするために川底は浚渫され、震災で落橋した橋りょうは、桁下空間がおおきくとられ橋詰広場が設けられた震災復興橋りょうとして架橋されました。聖橋や常盤橋などは現存する震災復興橋りょうは100年以上にわたって川の景観の一部となっています。首都高速の道路の建設は、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催に間に合わせるために濠や川、道路などの公共用地を立体的に使う手法が用いられ、日本橋川の上空ほぼ全てが首都高速道路の通過する景観となりました。近年、飯田橋アイガーデン(平成15年(2003年)完成)や大手町川端緑道(平成親水性の高い歩行者空間の整備や護岸緑化の取組みが行われています。また、令和7年末(2025年)には、丸の内仲通りから内神田をつなぐ「仲通り散歩橋」と「鎌倉河岸船着場」が完成する予定です。出典「千代田区川沿いのまちづくりガイドライン」―神田川分流から下流方向への順番―ない架橋されました。現在の橋は昭和29年(1954)3月3日に改架された。きたので、この橋名が付けられました。大正15年(1926)11月24日に架けられた。旧JR飯田町貨物駅跡地の再開発に伴って、かつて新飯田橋が架かっていた日本橋川に新しい橋が架けられ、平成14年2月5日に架橋された。明治の日本橋川再掘削にとも三崎橋の近くに、後からで平成12年度から始まった千代田区 令和五年三月発行三崎橋  新三崎橋  あいあい橋  明治時代昭和から平成・令和日本橋川に架けられている橋(千代田区) 26年(2014年)完成)など開発に伴う34

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