都会のオアシス皇居 (江戸城跡) 東京の中心に広大な緑を提供する皇居は、江戸時代に将軍の居城であった江戸城です。その歴史は、平安後期にここを館とした江戸氏に始まるといわれています。江戸氏は、桓武平氏秩父氏から出た武蔵国の豪族です。伝承によれば、本丸・二の丸の境界付近が江戸城のもっとも古い部分らしく、おそらくこのあたりに江戸氏が住む館があったものと思われます。その江戸氏の館を拡張して江戸城をつくったのが室町時代の武将、太田道灌です。長禄元年(一四五七)のことでした。出典「千代田まち辞典」抜粋(千代田区発行)平成十七年三月十五日発行画像協力 NPO法人江戸城天守を再建する会しかし、私たちがいう江戸城は、徳川家康が江戸に入府してからの城のことを指すことが多いでしょう。天正十八年(一五九〇)に家康が江戸に入り、さらに征夷大将軍に任じられた慶長八年(一六〇三)から本格的な改修がはじまります。城の北方の神田山を切り崩し、その土を使って城のすぐ下に迫っていた海を埋め立てて城下を広げます。続いて江戸城の普請も始まりました。伊豆から石を切り出し、石垣を築くと同時に、二の丸と三の丸が拡張されました。さらに五層の天守閣も新たに築かれました。この天守閣は、天守代を含めると高さ七〇メートル近くになり、国会議事堂の中央塔とおなじくらいの高さを誇っていました。その姿は江戸中から眺められたそうです。残念ながら天守閣は、明暦の大火(一六五七)で焼失し、ついに再建されることはありませんでした。43
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